あれから一年後のセレモニー

2014年07月30日

このブログをはじめてちょうど去年の8月、闘病中のTおじさんが亡くなった。
その日に酒をのみながらブログを書き残していた・・・

あれから一年たった。
先週の金曜日の夜から堀居先生に無理を言って、中二の授業後すぐに深夜バスに飛び乗った。
亡くなった方に対する儀式に参加するためである。深夜に流れる車のテールランプを窓越しに見ながらこの一年、逝ったおじさんに恥じない仕事をしてきたかを自問自答する・・・そんなこと、ついぞしたことがなかったのに・・・

儀式に参加すること自体、私は不得手である。現に相棒たる堀居先生のお祝いの儀式にも不参加で終わっておるぐらいである。
が、いつの間にか出会う人より別れる人の数の方が多くなった昨今は、お別れの儀式にはなぜか足を向けている。その儀式で記憶の底に眠っていた多くの思い出がこぼれ出す自分がいることを驚きをもって発見する。

塾という仕事の中で私はで会った生徒に『一歩この教室を出たり、当然卒業したら私はみなさんの先生ではなくなり、他人となる。だからこの短い期間、小さな教室の中では先生として最高である続ける』と言い続けている。
彼らにとって私はちょっと彼らの人生にかかわったただの異邦人である。
しかしほんの少し勉強もそれ以外の生き方も彼らに残せる自分であるのなら、私の塾講として人生もなかなか悪くないと思える。
いや、残したいというべきか・・・ただの、変な親父で終わるのかどうかは、私次第であるが・・・
Tおじさんの儀式中、お経を聞きながらふとそんなことを考えていた・・・


墓地にて手を合わせると
人として一番さびしいことは、記憶からすべて消えてしまうことなのかな・・・と思う。


時々ふと思いだし、楽しかったこと、しんどかったこと・・・など思いだしてもらえる日々の授業でありたいと、
強い日差しの中で想えてならなかった。




Tおじさん・・・あっちで酒持って待っててください。 <(_ _)>